フランスファッションの歴史!やっぱり遠い昔からモードの最先端

パリは毎年2回コレクションが開催される「お洒落な街」としても有名ですが、その昔、世界中のセレブリティに影響を与えたというフランスファッションの歴史に興味が湧いて勉強してみました。

フランスファッションの歴史!やっぱり遠い昔からモードの最先端

フランスのファッションの歴史

日本人が伝統的な着物(和服)から洋服を着るようになったのは、ほんの100年余り前、19世紀の終わりのことです。それでも戦前までは、日本ではまだまだ和服姿の人が多かったのですが、戦後、洋服は爆発的なブームを呼びます。

僅か半世紀余りの間に沸き起こった洋服文化の日本への影響は、人々の日常生活を揺り動かす画期的な衣服革命といっても過言ではありません。

日本にも多大な影響を与えた西欧諸国。今回はフランスのファッション文化の歴史を探ってみました。

ギャラリー・ラファイエット内丸屋根デコレーション

そもそも、フランスはどうしてファッションの中心となったのでしょう。それを知るために、この国のファッションの歴史を少しだけ紐解いてみましょう。

19世紀に大きな影響を与えたオートクチュール

フランスのファッションがヨーロッパ中の注目を集め始めたのは17世紀、ルイ14世の治世からです。

フランス王宮の支配の下、贅沢品産業が開花します。ルイ14世の公妾マントノン夫人やルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人、次のルイ16世の后妃マリーアントワネットなど、歴代の王宮を代表する女性たちのおかげで、当時のフランス王宮はヨーロッパのファッション界に大きな影響を及ぼしました。

さて、フランスのファッションには、ふたつの大きな流れがあります。

まずは19世紀に始まったオートクチュール(Haute Couture) があります。 « Haute » とは「高い、高価な、上位の」という意味で、 « Couture » とは、「洋裁、裁縫、服の仕立て」という意味です。

「高価な仕立て服」、要するに「特注の服」ということです。フランスの貴族や上流階級が宮廷に出入りするのに、最高の素材生地や装飾品を注文し、熟練した職人による手仕事の衣服を仕立てさせたことからオートクチュールが始まります。

ファッションデザインとして定着したのは、イギリス出身のシャルル・フレデリック・ウォルトが1858年にパリで最初のオートクチュール店を開店してからでした。

次の ベル・エポック時代には(19世紀末から第1次世界大戦勃発の1914年まで)メゾン・ド・クチュールが20までも数えられるようになります。

世界発のデパートとプレタポルテが出現

こうして、20世紀前半にかけてフランスのファッションはますます発展。繊維産業の発展と相重なって、まさに国の主要産業にまで拡大していきました。

しかしながら、オートクチュールは非常に高価なため、ほんの一部の上級階層からしかオーダーがなく、これだけではオートクチュールの世界は経済的に成り立たず、財政が次第に苦しくなります。

そんな中、19世紀の中頃パリに世界発のデパート 「ボン・マルシェ(Bon Marché)」が出現します。これに次いで、1885年、最初から百貨店形態の小売業を目的とした「プランタン」が大衆に大人気を集めます。

この勢いに乗ってプレタポルテ(Prêt à Porter)、つまり「既製服」が大衆化の波に押されていきます。この流れがふたつ目のフランス・モード産業の大きな流れとなるわけです。

フランスファッションの舞台となった所

以上のように、フランスにはファッションの深い歴史がありますが、その歴史の舞台となった所は、今でもパリに生存しているばかりではなく、現在でもなおファッション、モードの担い手となって活躍しています。

世界発のデパート「ボン・マルシェ」

Bon Marcheの外観

「ボン・マルシェBon Marché」は、 1838年にヴィドー兄弟が始めた布地店「オ・ボン・マルシェ」がそもそもの始まりでした。

後に帽子屋を営む父を持つブシコーが「オ・ボン・マルシェ」を買い取り、当時としてはとても画期的な百貨店産業を確立しました。ショーウィンドーによる商品展示や定価制など小売店としての独特の販売を始めたのです。

全体がアール・デコ・スタイルのBon Marche館内

そしてついに、1887年オペラ座をモデルにした大型店舗に拡大し、現在のデパート営業の基礎を固めています。館内は美しいアール・デコ・スタイル。

1984年、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトングループがボン・マルシェを買収し、現在にまで至っています。

ボン・マルシェ

【住所】24, rue des Sèvres 75007 Paris
【アクセス】メトロ/10または12番線 Sèvres Babylone 駅下車・バス/39,63,68,70,83,84,87,94路線 Sèvres Babylone 下車

アール・ヌーボー調のプランタン

ボン・マルシェ百貨店の元店員が開業したプランタンの外観

1865年、ボン・マルシェ百貨店の元店員だったジュール・ジャリュゾが「プランタン  Printemps」を開業します。

プランタン百貨店の特徴は店舗建築にあります。アール・ヌーボー調の丸屋根、しかも外光が店内にまで入るように工夫されたガラス張りの屋根で、当時としてはとてもモダンな近代建築でした。

因みに、「プランタン」とはフランス語で「春」という意味です。今もなお、パリのメインデパートのひとつとして、誕生地オスマン通りで多くの人に親しまれています。

プランタン

【住所】64, boulevard Haussmann 75009 Paris
【アクセス】メトロ/9番線 Havre Caumartin 駅下車 RER-E  Haussmann St-Lazare 駅下車徒歩 

2人の雑貨商人から始まったギャラリー・ラファイエット

ギャラリーラファイエットの外観

プラタン百貨店と肩を並べるようにして存在する「ギャラリー・ラファイエットGalerie Lafayette」の歴史は、1893年、テオフィール・バデとアルフォンス・カーンという2人の雑貨商人から始まります。

雑貨だけではなく、店内に流行の洋服を展示したのがきっかけでした。もともと、アヴュニュー・ラファイエットとショッセダンタン通りの角にあるこじんまりとした店でしたが、次々に周辺通りの建物を購入し、ついに1905年、オスマン大通りの38~42番地の建物全体を購入します。

クリスマスムードいっぱいのギャラリーラファイエット館内

プラタンと同様、ガラスと鉄鋼を駆使したアール・ヌーボー調のモダン建築。パリ本店には電話通訳や免税書類を作成してくれる「ジャパニーズ・カスタマー・サービス」があり、日本人の従業員が対応。

ギャラリー・ラファイエット

【住所】40, boulevard Haussmann 95009 Paris
【アクセス】メトロ/7または9番線 Chaussée d’Antin La Fayette 駅下車 RER-A Auber 駅下車・バス/20,21,22,42,53,68,81,95路線 

高級ブランド店が軒を並べるサントノーレ通り界隈

1区サントノーレ通りのプラーク

8区サントノーレ通りのプラーク

サントノーレ通り

先の百貨店ブームとは裏腹に、サントノーレ通り  Rue St-Honoré界隈には歴代オートクチュールの本家本元店が構えています。

パリ1区と8区にまたがるサントノーレ通り一帯には、数々の有名高級ブランド店が集中しています。

ざっと名前を挙げるだけでも、シャネル、ロンシャン、モラビト、クロエや、ヴァンクリーフ&アペール、ショーメ、ブシュロン、カルティエという高級宝石店。

ロワイヤル通りを超えてフォーブール・サントノーレ通りに入ると、エルメス、ランコム、ランバン、ピエール・カルダン、バカラなど日本でもおなじみのブランド本店が軒を並べています。

ルイ・ヴィトン本店の奇抜なディスプレイ

ルイ・ヴィトン本店のすぐ近くヴァンドーム広場

マドレーヌ寺院

サントノーレ通りとフォーブール・サントノーレ通りを十時に走るロワイヤル通り。正面に見えるのはマドレーヌ寺院というように、サントノーレ通りの周辺地区には、フランスの世界に誇る最高級ブランドの本店が集まっています。

フランス人ばかりではなく世界中から高級ブランド品を求めて多くの人が訪れる、プレタ・ポルテでは満足できない人には欠かせないスポットです。根強いオートクチュール人気を感じます。

サントノーレ通り

【住所】rue St-Honoré またはFaubourg  St-Honoré 75001 Paris
【アクセス】メトロ/1 ,8,12番線 Concorde 駅または1番線Tuileries 駅下車北へ徒歩1分

新風を吹き込んだアヴェニュー・モンテーニュ

Avenue Montaigneのプラーク

アルマ橋からシャンゼリゼ大通りのロンド-ポワン広場に向けて走るアヴェニュー・モンテーニュAvenue Montaigneは、全長615メートル、幅33メートルの通りで有名デザイナーの高級ブランドブティックが軒を並べています。

グッチの店先で並んで入場を待つ人たち

しかしこの界隈は、17世紀の終わり頃までは野菜畑が連なる田舎で「ひょうたんの沼地」と呼ばれていたほど何もないところでした。

1850年頃は「未亡人の並木道」と呼ばれたモンテーニュ通りの評判は良くありませんでした。そもそもシャンゼリゼ大通りの「シャンChamps」 とは畑という意味からも分かるように、モンテーニュ通りも果てしもなく続く畑の中にあったのです。

当時のパリの中心地はノートルダム寺院の辺り、カルチェ・ラタンまでで、その外はパリの田舎郊外だったのです。

次の画像は現在の典型的なモンテーニュ通りの雰囲気。遠くに見えるのはエッフェル塔の頭です。

エッフェル塔が遠くにみえるモンテーニュ通りの風景

19世紀中ごろ、やっとモンテーニュ通りという有名な哲学者の名前に変わってから、徐々に立派な家屋が建築され始めました。

1913年にアール・デコ建築の「シャンゼリゼ劇場」が開幕します。この劇場では当時としては非常にアヴァンギャルドな催しが繰り広げられ、メディアや大衆にスキャンダルな芸術的革命を巻き起こしたのも、このモンテーニュ通りからでした。

シャンゼリゼ劇場

モンテーニュ通りが贅沢な高級モードの中心地となる日となるのは1946年12月。パリジャンたちからみれば田舎者、ノルマンディー地方出身のクリスチャン・ディオールが30番地にデザイナーとして定着してからでした。

メゾン・ディオールの大成功は、現在に至るまで周知の通りですが、彼の後を担ったイブ・サンローランの出現が、またしてもモンテーニュ通りにフランス・モード界の新たな新風を巻き起こします。

アヴュニュー・モンテーニュ30番地メゾン・ディオール誕生の地

アヴェニュー・モンテーニュ

【住所】Avenue Montaigne 75008 Paris
【アクセス】メトロ/1、9番線 Franklin. D. Roosevelt 駅下車

モードを生んだフランスの街も美しかった

今回はパリの街を歩きながら、フランスのファッション文化の歴史に想いを馳せながら、プランタンやギャラリー・ラファイエットなど、高級ブランド店が集まる建物や周辺エリアの美しさにも心を奪われてきました。

かつては欧米諸国から日本へ輸入された洋服モードも、今では逆に日本から欧米へ影響を与えるなど、日本モード界も大きく飛躍していますが、歴史をひも解きながら現地を散策してみるのも楽しいですよ。