別居して離婚を決めた理由・体験談
長年付き添ったカップルが夫婦になり、ずっと添い遂げることを誓っていても、価値観の違いから喧嘩が絶えなかったり、特別に嫌っている訳じゃないのに結婚生活を続けていくことが苦痛になって、別居、離婚という道を選ぶこともあります。
離婚をする前に自分の気持ちを確認するために別居をすることもありますし、子供のためや世間体のために「家庭内別居」をすること選択肢のひとつですが、今回は「別居した後に離婚した人」の体験談を紹介します。
出会ってから結婚する運命にあり、ずっと2人で人生を歩んでいくと決めた男女がどうして「離婚」という別れを選ぶことになったのでしょうか?
別居して離婚した理由/目次
別居して離婚した理由/元夫の浮気
結婚して奥さんや子供がいるのに、他に好きな人ができると気持ちにブレーキを掛けられなくなる男性がいます。浮気男に妻が三行半を突きつけて離婚するケースだけじゃなく、裏切った夫側から離婚を切り出され、泣く泣く「別居して子どもを引き連れて離婚」というパターンもあるのです。
夫が「恋をしたい」と言い出した(当時27歳)
結婚3年目で子供は3歳でした。元夫が「離婚したい」と騒ぎだして、勝手に賃貸住宅を契約して家を出て行ってしまいました。離婚を望む理由は「自由に恋愛がしたい」というもので、当時、元夫は不倫中でした。
離婚条件の話合いも折り合いがつかず、家に居ても私と顔を合わせたり、子供達と関わることさえ面倒だったんだと思います。
2月に離婚を切り出され、4月には賃貸住宅の契約をしていました。その後は、アパートと自宅を行き来しながら、少しずつ生活用品や家財を持ち出し、6月には殆ど帰ってこなくなり、8月には完全に別居状態となりました。10月末に調停離婚が成立しました。
別居中も夫が浮気を続けた(当時28歳)
結婚6年目のことで子供は4歳でした。3回目の浮気が発覚した瞬間に別居を決め、夫をカバンと一緒に家から放り出してやりました。
一週間程、ネットカフェや会社に寝泊りをしていたようでしたが実家に帰ってきたと義母から連絡があったので着払いで荷物を送りつけてやりました。
一旦は許してやろうと思ったのですが、別居中も懲りずに浮気相手と会っていることを知り、証拠を突き出し、両親を交えて慰謝料や養育費の支払いを約束させて半年後に離婚しました。
夫に離婚を望まれた(当時27歳)
結婚1年6ヶ月目で子供が産まれる直前のことでした。元夫から「性格が合わないから結婚生活を続けるのは無理」と別れを切りだされ、離婚が決定的になった時は妊娠8ヶ月…。実際は浮気していたのです。
精神的なダメージが酷く、お医者さんから「安心して過ごせる環境を作ったほうが良い」と言われ、1ヶ月前倒しして実家に帰ることにしました。離婚までの別居期間は約1年でした。私と離婚成立後、すぐに元夫は再婚したのですが一年もしないうちに別れたそうです。もう二度と会いたくありません。
別居して離婚した理由/DV・モラハラに危険を感じた
言葉の暴力や横柄な態度で精神的なダメージを与えるモラルハラスメント、殴る蹴るなどの身体的な暴力行為をするドメスティックバイオレンスなど、家庭内で身の危険を感じて別居した後、妻が選んだ道は離婚でした。
暴力夫から逃げたかった(26歳)
結婚4年目のことで子供は3歳でした。結婚してから始まった旦那のDVがエスカレートし、子供を守るために離婚したかったのです。
でも、話合いの最中に暴れ出したら離婚話が流れてしまうので、弁護士事務所で相談をしたところ「まずは別居をしてください」と言われ、思い切って子どもを連れて家を出ました。
子供と母親だけの生活は本当に気楽で精神的な平和を手に入れることができました。別居後すぐに弁護士を雇い、離婚に向けて話合いを進めた結果、お互いにとって良い条件で別れることが出来ました。
主人に暴力を振られるのが怖かった(当時31歳)
結婚8年目で子供は6歳と4歳でした。付き合っている頃から気が短く怒りっぽかったのですが、子供ができてからも暴言やDVが激しくて、何度か離婚を切り出しましたが世間体や職場での立場を気にして応じて貰えませんでした。
親と弁護士に仲介してもらい、ひとまず私と子供は実家に戻って別居生活を始めました。別居期間は約3か月です。別居直後は元夫から何度か連絡があって子供の様子などを知らせていましたが、そのうち音信不通状態になったのです。別居生活が3ヶ月目に突入した頃、再び離婚を切り出すために連絡しました。
別居して距離をとって冷静になれたせいか、意外にも、すんなり離婚を受け入れてくれました。
別居して離婚した理由/訳あり亭主に愛想が尽きた
結婚をすれば、義母、義父をはじめ、相手の家族との付き合いは欠かせません。しかし、いい大人になった旦那がいつまで経っても「親離れできないお子ちゃま」だったら?
マザコン夫に愛想が尽きた(当時33歳)
結婚3年目のことで子供はいません。何を決めるにしても「お母さんの意見を聞いてみる」が定番だった元夫への愛情がなくなり、別居するために私が家を出ました。
全てに於いて「妻よりママの考えを優先させる元夫」と、何度も話合いましたが「母さんの言うことは絶対だ」の一点張りなので、「そんなにママがいいなら、ママと結婚しなさいよ」と捨てゼリフを残してきたのを覚えています。
前の夫は離婚を渋り、別居してから離婚する前の一年間は説得するのが大変で精神的に辛かったです。「離婚したら息子の世間体が悪くなる」と義母から大反対されましたが、最後は調停に持ち込んで離婚しました。
0歳の子供を置いて出ていった夫は許せない(当時27歳)
結婚4年目で子供は0歳と4歳でした。主人から離婚を切り出されました。話合いもなく、彼が自分で考えて突然切り出しました。以前より夫婦仲も良いとは言えず、よくケンカをしていたのですが、休みの日は家族で出掛けることも多かったので、夫婦喧嘩のひとつだと思い深く考えてはいませんでした。
切り出される前には大きな喧嘩があり、口を聞いていない日も数日続きました。
そしてやっと話ができたとおもったら離婚話。私は反対しました。喧嘩はあったにせよ、離婚だなんて考えていなかったですし、3歳と0歳の子供がいる家庭です。子供は父親のことが大好きで、悲しい思いをさせるのは嫌でした。これから成長していくうえでも父親は必要だと思っていました。
しかし、主人は会社勤めを辞めて自営業をしたいとのこと。現状では、お金を貯めることが出来ず、運転資金もない。現会社へは通勤時間も1時間半ほどかかる。会社の近くで一人暮らしをして通勤時間を縮め、バイトをして少しでもお金を貯めると言い、譲りません。すでに住むところも決めてある。応じないなら明日にでも出て行くと…。夫の身勝手で強引な理由で別居となりました。家族の将来が掛っていることなのに、何の相談もなく一人で決めて、生まれたばかりの子供を放ったらかしにしている夫への信頼が崩れ、間もなく離婚が成立する予定です。
別居して離婚した理由/夫婦仲の修復が不可能だった
一生添い遂げると誓って結婚したわけですから「嫌い」「ムカつく」「性格が合わない」と思うことが多々あったとしても、そう簡単に離婚できません。
夫婦間にトラブルが生じて、長い間「離婚」の二文字が頭から離れなくなったとき、最悪の結果を避けるために冷却期間を設けるケースも多いのですが、別居したことで2人の関係が冷めきっていることに気付くこともあるのです。
心身が拒絶反応を起こすようになった(当時35歳)
結婚12年目のことで子供は小学生2人でした。体調を崩し、吐き気がして、ご飯が食べられなくなり体調が悪くなったとき、元夫はサポートをするどころか、気にも掛けてくれませんでした。
私の中で何かがプツッと切れてしまったんでしょうね…。それがキッカケで、夫の顔を見るのも嫌になり、声を聞くと鳥肌が立ち、元ダンナの存在自体にイラつくようになったのです。ストレスを溜める生活を続けていたら、精神的にダメになると思い別居を提案。
私が実家に戻り別居を始めてからは心が軽くなり、嫌いな夫から解放された安心感のせいか、数か月、喉を通らなかったゴハンを美味しく食べられるようになったのです。
娘を元夫に会わせるために、数日、帰宅したのですが、ご飯は食べられなくなるし体中に蕁麻疹が…。その後、養育費の支払いだけ約束をしてもらい、離婚して娘と実家で暮らしていますが、元夫も一人暮しを謳歌しているようです。
家庭内別居の雰囲気に耐えられなかった(当時37歳)
結婚14年目のことで子供2人は小学生と中学生でした。家庭内別居が一年ほど続いていました。挨拶をしても完全に無視され、元夫は自分の部屋から出てくることなく、ご飯を用意しても手を付けずにコンビニ弁当などを部屋に持ち込む始末でした。
私は、もう一緒に結婚生活を送っていける自信が無かったので離婚届にサイン済でしたが、元夫が承諾してくれなかったのです。
弁護士の無料相談に行って相談したところ別居を提案され、冷静に考えたのです。夫婦仲が悪いのは子供にも良くないし、また、元夫は生活費もほとんど入れてくれないので、離婚を前提とした別居を決意して実行に移しました。別居する3日前に家を出て行くことを元夫に伝えたら、ようやく観念したのか正式な離婚話も進めることが出来ました。
別居後、3ヶ月で協議離婚が成立。最初は不安で溜まりませんでしたが、コツコツ貯めていた貯金を崩してアパートを借り、今はアルバイトをしながら娘2人と生活しています。
夫と暮らすと精神的に不安定になるから(当時20歳)
結婚6ヶ月目で子供は生後3ヶ月でした。授かり婚で自分の親とは不仲だったので、旦那の実家で里帰り出産をしました。初めのうちは一生懸命やって義理の両親と仲良くしようと思い、家事も育児も仕事もガンバっていました。
でも、旦那が子どもに関心を持たないのです。「娘と遊んでくれない 」「家事育児をすべて私に押し付ける」「義母とトラブルがあっても知らん顔」「私と赤ちゃんを友達にも紹介してくれない」など、散々でした。
私が体調を崩して家事育児全般ができなくなっても、旦那さんは帰宅しても仕事の愚痴や子育てに文句を言うだけの毎日で、実母へ電話を掛けるたびに泣いました。
精神的に不安定になっていると感じた両親が旦那の実家に話をつけてくれて別居を始めて、その後、落ち着いたので家に戻りましたが、やはり夫が側にいると情緒不安定になる状況は変わらず離婚。今は両親のサポートを受けて実家で子供を引き取り、穏やかに暮らしています。
離れてみたら別れを望む自分の本心に気づいた(当時35歳)
結婚7年目で子供はいません。元夫との話合いで「いきなり離婚をするよりは、離れて暮らしお互いの気持ちを冷静になって再確認しよう」ということになり別居を始めました。
2人の間に子供はいなかったし、私は両親に理由を話したくなかったので夫に実家へ帰ってもらい「別居期間は一カ月」とキッチリ決めていたので、その間、一切連絡を取り合うことなく自由に過ごしていました。
お互いに「別居すれば気持ちが戻るかも知れない」という希望を持っていたのですが、夫婦2人とも相手へ再び気持ちが向くことはなく、最終的に離婚する段取りを始めるキッカケとなりました。
気楽な生活がやめられなくなった(当時36歳)
結婚11年目のことで子供はいません。元夫が単身赴任をして間もなくのことです。ご飯の支度をしたり、夫に遠慮して友人と遊びに出かけるのを控える必要のない生活が嬉しくて「このまま帰って来なければいいのに…」という思いが、日に日に強くなっていくのです。
13年も一緒だった夫と離れて暮らしたら寂しさが芽生えるかと思いましたが、想像していたより夫が居ない一人の生活が快適で嬉しいだけでした。元夫も同じ気持ちだったようで、別居して1年後、子供も居なかったのでスムーズに離婚することができました。
「夫婦」を続けるメリットを感じなかった(当時31歳)
結婚6年目で子供は4歳でした。お互いに忙しく、一緒にいても嫌なとこばかりが目につくようになり、そんな生活が辛くなったので離婚を視野に入れて話始めました。
でも、子供が小さく、両親が揃っていたほうが良いのではと思える年齢だったため、冷却期間を置くために別居しました。ダラダラと別居婚を続けても意味がないと思ったので、3ヶ月と決め、その間私は夫とは一度も会いませんでした。子供たちは2週に一度くらい交流をもたせましたが、その際の送り迎えや連絡等は家族や知人に頼みました。
3ヶ月後に自宅に戻り、しばらく一緒に生活してみましたが、結局、嫌なところばかりが気になりメリットを感じられなかったので離婚となりました。
他人となった今は子供達の親同士という間柄がうまくいっており、以前のようにギスギスしていない私たちを見ている子供達にも良かったのではないかと思います。
別居すると隠していた本心に気づく
離婚する前に別居するのは「後ろ向きなこと」だけではなく、お互いの気持ちを再確認して関係が修復できたら、また夫婦として歩んでいこうとする「前向きな一面」もあるのですね。
今の「別れたい」という気持ちが「一時的な気の迷い」なのか「本当の気持ち」なのかが分からなくなったときは、突発的に家を飛び出すのではなく、計画的に別居というカタチで冷却期間をもうけると冷静に最善の判断ができるかも知れません。